東日本大震災を〈考える〉ナースの会

震災について〈考える〉場をつくりました。 仙台で/仙台から、始めます。

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第4回目の〈考える〉会を開催します!  

■ 第4回 東日本大震災を〈考える〉ナースの会

次回の開催が決まりました!
テーマ:専門職倫理を考える―「患者のために」は、どこまで通用するか?
日 時:2012年6月3日(日)15時~17時
会 場:仙台市市民活動サポートセンター3階 研修室1
   (青葉区一番町四丁目1-3 地下鉄広瀬通駅 西5番出口すぐ)
参加費:100円(場所代等) ※出来るだけ事前申し込みをお願いいたします!
申し込み:問い合わせ先:konda@tfu-mail.tfu.ac.jp(近田まで)
主催:東日本大震災を〈考える〉ナースの会,てつがくカフェ@せんだい

 原発事故後、放射能の影響により、家族を守るために避難するか、患者を守るため病院にとどまるか、その狭間で苦しんだ医療スタッフは数多く存在します。
 例えば、福島第一原子力発電所より20~30キロ圏内にある病院では、3号機の爆発後、病院幹部より「自分の判断で逃げるように」という指示が出され、慌ただしく荷物をまとめて去っていく者や悔しくて泣いている者がいる中、一番多かったのが、どう行動すべきなのかわからず呆然と立ちつくすスタッフだったといいます。結局、250人いたスタッフのうち病院にとどまったのは3分の1程度であり、責任を果たそうと病院に残る決意をしたとしても、家族を守らなくていいのかという罪悪感でジレンマに陥っている者が多かったそうです。
 医師や看護職といった医療専門職は、人間の生命現象に深く立ち入る職業ということで医師法や保健師助産師看護師法といった法による外的規制と倫理に基づく内的規制により社会的責務を負っています。内的規制としては、患者の権利を外的基準とした行動規範、つまり一定条件下における最適行動の原則を示した倫理規定を定めています。
しかし、この度の大規模災害にみられるように、医療職はたとえ被災者となっても(もしくは自身の身が危険に侵されそうになったとしても)専門職である以上、ケアを必要とする人々のために存在するという第一義的な責任を果たすため「逃げること」は許されず、その場に踏みとどまるべきなのでしょうか。もし、そうであるならば、その場に〈踏みとどまらせたもの〉とは一体何なのでしょうか。
 冒頭に掲げた例のように、専門職としての責務と私的な立場のどちらを選択するのかという場面に遭遇した時、私たち医療専門職はどう振舞うべきなのか、また、そもそも〈正しい振舞い〉というものが存在するのか考えておく必要があるでしょう。
 今回の「東日本大震災を〈考える〉ナースの会」では、医療職がこれまであたりまえのものとして口にしてきた「患者のために」という言葉が、非常事態下においてどこまで通用するのか、専門職倫理をめぐる問題について考えてみたいと思います。
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Posted on 2012/05/07 Mon. 00:17 [edit]

category: ◆ 〈考える〉会開催予告

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第3回目の〈考える〉会が終了しました!  

今回の会は、キャンナスさん主催の講演会の後、東北福祉大学で開催されました。
テーマは「震災後1年を経て考える―ボランティアとは何か?」です。
看護職以外の方も含めて、9名の方にご参加いただきました。

まず初めに、ボランティアについて当時(現在)考えていたことを自由にご発言いただきました。
看護職の多くは「何かしないといけないのでは?」と考えていたといいます。

そこで看護職以外の参加者から、看護職は本来のボランティアとは異なり支援に行って当然であるといった専門性が突きつけられたり(また他者から要請される前に自ら課してしまう)、献身、誠実さといった振る舞いを重んじる職業でもあるため独特の苦しさがあったのではないか、という発言がありました。

それに対しある看護師は、看護師だから支援に行ったのではなく、人として目の前で困っている人がいたら自ずと助けるものでり、それは看護教育を受けていなくても出来ることであるといいます。
また、ほかの看護師も、そもそも看護職を選択する動機が「人を助けたい、人の役に立ちたい」というものであるため看護師だからという考えはないといいます。

支援に入ったのは〈人としての私〉なのか〈看護師としての私〉なのか。
この点に関してこれ以上話を深めることはできませんでしたが、これは「看護師とは何か」「ケアとは何か」といった問いを孕む問題であるような気がします。

他にも、支援を受け続ける側にとって「支援」とは時に「暴力」に成り得るという発言もありました。
普段から支援することに慣れている援助職は、支援という行為が孕む様々な側面について考えておく必要があるでしょう。

最後に「避難所で2週間以上経過しているにもかかわらず物資が適切に行き渡っていないことに対するジレンマ」「支援に行ったにもかかわらず逆に自分がもてなされてしまうことへの違和感」「限られた期間の中でどこまでかかわるべきなのか」といったボランティア活動にまつわる悩みが語られました。

また「支援する中で専門性をもつからこそいろいろ見えてしまい苦しんだ」と話す参加者がおられました。今回、被災地に入った看護職の多くが達成感よりもむしろ不全感を抱いていたのは、震災により自らの志向性に促され被災地に赴いたにもかからわらず、「こうすれば良くなる」と未来を先取りしつつ「何もできない」現実に直面したからに他ならないでしょう。またそうした状況にもかかわらず「今・ここ」で他者と向き合わざるを得ないジレンマにさらされていたのだと思います。

参加者の中には、声を詰まらせながら話される方もいらっしゃいました。震災という出来事を語るには、まだまだ時間が必要であることを痛感しました。これからも、ゆっくり、丁寧に、自分たちの〈言葉〉で震災という出来事を語れるように場をつくっていきたいと思います。

お忙しい中ご参加くださった皆様、ありがとうございました。
次回は、6月3日(日)に「専門職倫理を考える―患者のためにはどこまで通用するか?」というテーマで開催します。詳細は後程、本ブログにUPします。ぜひご参加お待ちしております!

第3回 ボランティアとは何か?

Posted on 2012/05/03 Thu. 21:00 [edit]

category: ◆ これまでの活動

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