東日本大震災を〈考える〉ナースの会

震災について〈考える〉場をつくりました。 仙台で/仙台から、始めます。

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第5回目の〈考える〉会が終了しました  

ナースの会も5回目を迎えました。今回は、11名中半数以上が初参加の方で、遠くは石巻からもお越しいただきました。

東北以外からボランティアとして被災地に入り活動しているある参加者は、被災地から地元に戻った時、震災に対する医療スタッフの意識の違いに苦しみ、震災にかかわりたい一心で被災地に入ったといいます。また、自宅が石巻にある参加者は、まるで(経験していないが)戦後の光景を見ているようだったと当時の状況を思い起しながら語ってくれました。

それぞれが自己紹介を交えながら震災後の状況や心境を語った後、本日のテーマである課題本『南相馬10日間の救命医療―津波・原発災害と闘った医師の記録』の感想を出してもらうことから会はスタートしました。この本は、福島第一原子力発電所の30㎞圏内にある南相馬市立総合病院の医師による震災時の活動記録です。私がこの本を取り上げたのは、この病院で起きた出来事が決して対岸の火事ではなく、同じ医療専門職として考えておく必要があると感じたからです。

原発事故後、病院スタッフには自主避難の指示が出されますが、その後、病院にとどまるのか、その場を立ち去るのか、どう行動するのが正解なのか判断に迷う場面に対する意見が多く出されました。

「『今逃げてしまったら、将来胸を張ってこの震災のことを語れるだろうか』という箇所について、率直な思いが書かれていて驚いた。自分は口に出して言えることではなかった」
「『その場に踏みとどまった自分を支えていたものが医師としての使命感なのか罪悪感なのか』という点について。罪悪感とは何に対する罪悪感なのか考えた」
「病院管理者としてはスタッフに逃げて欲しいと思っただろうが、逃げるか否かの判断は誰の何に対する判断なのだろうか」
「〈逃げる〉という言葉が頻出しているのが気にかかる。その場を離れる、身を守るとも言えるのではないだろうか」

もし自分が同じ立場に立たされたら、どう振る舞うのでしょうか?

ある参加者は、もし自分に守るべき家族がいなければ自分の判断で残るが、守るべき家族がいた場合、その場を離れるかもしれないといいます。また、ある参加者はたとえ医師がその場を立ち去ったとしても、看護師としてその場に踏みとどまり患者の傍にいるだろうといいます。

しかし、その場に踏みとどまるにせよ、その場を離れるにせよ〈負い目〉というものが発生するらしい。これは、一体どういうことなのか。さまざまな意見が出されました。

もし自分に守るべき子どもがいるにもかかわらずその場に踏みとどまった場合、母親の義務を全うできないことに対する〈負い目〉がついてまわるだろう(他にも、活動を継続しながら、限られた医療資源の中で専門職としての役割を全うできるかといった思いが常につきまとうのではないか)。また、その場を離れた場合は、専門職としての責務を果たせなかったことに対する〈負い目〉のほかに、仲間(場)から外れたということに対する〈負い目〉があるのでないかといいます。
では、この場合、専門職としての責務と、家族に対する義務、どちらを選択するのかその判断基準は何なのでしょうか。また、そもそも仕事と家庭と対立して考えなくてはいけないものなのでしょうか。

ある参加者は、仕事をしている自分の姿を見ることで子どもが理解を示すなど影響を受けることもあり得るので、仕事/家族と単純には分けられないのではないか。また、仕事/家族の構図が競りあがってくるのは今回の震災のような切迫した状況下においてであり、この場合の判断とは短時間で決断しなければならなかったり、偶然で決まってしまうものなので、そもそも判断基準というのは存在しないのではないかといいます。

さらに、もしそうであるならば、仕事/家族に優劣をつけることはできず、その場を離れた看護師が、〈負い目〉から、震災について何も語れなくなってしまうというのはおかしいのではないか。看護師も家庭も同じ〈仕事〉だと言えるのではないだろうかという意見が出されました。一方で、看護師以外の参加者より、仕事=〈専門職〉である場合、その責務の範疇とは何なのかという問いが投げかけられました。

今回は、ここで(肝心なところで)時間切れとなってしまいましたが、果たして専門職である場合も同じことが言えるのか、医療専門職の責務という視点から考えてみる必要があるでしょう。

この他にも、「放射能汚染の安全/危険レベルが明確であったなら、また違う状況になったのだろうか」「逆に判断基準が明瞭だと強制力が働く恐れがあり怖い」といった発言もありました。安全とは何か。正しい知識とは何なのか。今後も引き続き〈震災〉にまつわる出来事について、じっくり考えていきたいと思います。皆様のご参加お待ちしております。


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Posted on 2012/08/29 Wed. 18:35 [edit]

category: ◆ これまでの活動

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読書会を開催します!  

■ 〈読書会〉のお知らせ

本会でも繰り返し出てくるテーマのひとつ〈ケア〉を巡る問題について、以下の本を紐解きながらじっくり考えてみたいと思います。初回は、第1章を取り上げます。関心のある方は、ぜひご参加下さい!

課題本:『ケアの複雑性―看護を再考する』Sioban Nelson/Suzanne Gordon著/井部俊子監修/阿部里美訳,エルゼビア・ジャパン,2007.

日 時:2012年8月26日(日)13時~14時30分(予定)
会 場:東北福祉大学 5号館 1階 第7演習室
    (仙台市青葉区国見1丁目8-1)
申し込み:参加希望の方は、近田(konda@tfu-mail.tfu.ac.jp)までご連絡下さい。
※15時から引き続き同会場にて、第5回東日本大震災を〈考える〉ナースの会を開催します。詳細につきましては、本ブログ内の案内をご覧ください。

Posted on 2012/08/07 Tue. 18:54 [edit]

category: ◆ イベントのお知らせ

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